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2005/06/09

パソコンは家電でないから【3】

気を取り直して続きを書いてみよう
(リセットしすぎで文体が変ってる気がするが放置しよう)


さて前回までの記述で次のように述べた
「パソコンは車に近い」
「まだ敷居の高い特別な機械」

かつ二回目にこうも述べた
「応用力こそが、『パソコンを使えている』という定義に最も近い」
なんでかというとぶっちゃけた話、「パソコン分かるよ」って主張するんだけど、フタを開けてみると実は初心者じゃん!ってヒトが後を断たないからなんである
ホント、最近のヒトは気づかない内に中途半端ユーザーになってしまいがちなのだ(この辺りから、パソコンと車の例えは若干遊離してしまう。車の免許取得の結果が、中途半端になりようがないですもん)
そういうヒトは、POP作るのにも報告書作るのにもExcel使ってるとか、Jpeg画像処理するのにペイント使ってるとか。しかもそれでフツーだと思ってるから怖い(実話です。ある意味すごいけどね)
「もっといいやり方がありますよ」ってなことで、WordやPhotoShopについてお話しすると、いきりたって逆ギレされることもしばしば。つまり、ご自身の世界で完結してしまい、それ以上のことをご理解されてないということなんである。これじゃ「使いこなし」にはほど遠い
たぶんパソコンとそれなりに付き合えるヒトは、ソフトの使い分けと融合についてご理解くださるだろう。これこそが「使える」であり、応用力だと思う
この応用力を付けるために必要なのが、謙虚さと冒険心だと考えている

まず謙虚さであるが
これは教わる方にも教える方にも必要な要素だ
教わる側に必要な謙虚さとは「知らない事なんていっぱいあるしね」というところ
車の教習所に行く前に、友達の運転している姿を見ていて、「あー、こういう風に運転するんだ~」って思ったからって、学科飛ばせますか?
例え自分がうまく運転できたと思ったって、教官がダメって言ったら何か足りないんですヨ
教える側に必要な謙虚さとは「皆最初は何も知らないじゃん?」というところ
自分だって教習所で「このクソ教官・・・(-_-メ)」とか思いながら運転習いませんでしたか(苦笑
そんな自身の経験と苦い思い出を引き合いに出しながら話を持っていくのも、教える側のスキルなんじゃないのかな~?

次の冒険心とは要するに、一歩踏み出してみる事を言うが、実はこれは謙虚な姿勢があって初めて上手くいくのである
謙虚であれば(他者の話に耳を傾ける事が出来るヒトであれば)、一歩踏み出した先が遥かぶっ飛んじゃったところでも止めてもらえるんである
そういうヒトって、助けたくなりませんか?頑張ってるんだけど、ちぃ~とばかし急いじゃってる勉強熱心な姿勢のヒト
で、止めてもらえるというということは、「やっちゃイケナイのね」という学習効果を生み出すわけで
でもいつも自分よがりのヒトは、同じことをやっても放置プレイされるだろう。どうせ話聞かないし、忠告の意味も理解しないでしょうから

例えば・・・
PowerPointを知りたいというのに、Wordほとんど触った事無いとか・・・インターネットの概念が分からないのにホームページビルダーやりたいとか・・・そんなご要望は結構ある
ハタからみると、普通に知的欲求にかられている状態と取ることができる
そしてこれが個人的な相談であれば、大量にあるその手の書籍でも紹介して「後はガンバレ」とでも言いようがある
が、場所はパソコン教室なのデス。「教室」なのだから、段階を踏んで覚えるようにお薦めするのは、教育という観点から考えれば当然の事
謙虚さを持った方なら、こちらの提案に耳を傾けてくださるし、ご自身の状況も詳しくお伝えくださる
しかしそうでない方は、「そんなの知ってるんだよ!」だとか「余計な事は覚えなくたってイイんだよ!」とお怒りになる
こういう方には、どうぞ独学でやってくださいと申し上げる。だってそこまで言うなら、わざわざ金払って覚えなくてもいいデショ
本当はそういう自信が無いから「教室」に来るのに、こういうヒトに限って変なプライドが表に出て駄々をこねるんである


ようするに、謙虚さを備えた「正しい」冒険心であれば、パソコンの敷居がどれほど高かろうとも乗り越えられる可能性はゼロにならない、ということだ

結論から言えば、あるす本人としては「やりたいところだけやりたい!」っていう姿勢もOKつーか大歓迎なのだ
「教室」というところに関わるものとしては悩ましいところではあるが
しかしこれだけ(言葉は悪いが)中途半端ユーザーさんが増えてしまった以上、最初の最初からやり直しついでに勉強するのって、実は拷問に近い部分もあるのだ
けれどその場合も、パソコンが家電ではないっていうことは忘れちゃいけない


パソコン世界において、知識の階段を正しく登らずズルをして覚えるのは、(二回目でも述べたけれど)仮免の状態で公道を堂々と走ってるのと同じ
それがどれだけの被害や損害をもたらすか?
世界中で頻発するウィルス感染拡大の原因の一端はこういうところにあるだろう
最初に例に出したExcelしか使えない方だと、Wordで同じことをすればもっと楽にできたかもしれない仕事にわざわざ時間をかけ、多大な損失を招いている可能性もある
情報モラルのなんたるかも知らないでWinnyなどのファイル交換ソフトを使い、自爆して他者に当たり散らすヒトも見たことがある
応用力を得なかったばかりに、得るべき恩恵に預かれなかった者の末路というか・・・
パソコンが本当に家電だったら、こんなことは起こらないのではなかろうか?
いつかパソコンも、車みたいに
「なんだかよくわかんないけど、とりあえず」
という感覚で使えるようになる時代が来るのだろうか?
残念ながら、まだまだそんな風ではないようだ
パソコンは未だ精密機械の域を抜けられないでいる
確かにパソコンと車は似ている。けれど、そういう所では追いつくのはもっともっと先の話だろう
まぁ、かつてあるすが習ったMS-DOSの時代から比べれば、はるかにマシな時代にはなったが・・・
(とりあえず今回で一区切り。また違うネタで考え中)

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