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2006/03/03

格差を嘆く人たちへ 庶民なりの提言

最近は生活格差についての意見・記事が目立つ
ぼーっとTVを見たり、何気なくパラパラと雑誌を読んでいたりすると、これでもかとばかりにそういう文字が躍っていて、正直ちゃぶ台返しをしたい気持ちになる
ノ ̄□ ̄)ノ ~┻━┻ドガシャーン!!

このブログでも時々書いてるけど、人間は生まれながらにして、男と女という別の生き物になるのだから、そこからして平等ではないのだよ
新興宗教や一部のカルト集団(?)に多い、すべての人が平等にというのはいかにも胡散臭い
中学生の頃の同級生がエフォバの証人の団員で、ホントしつこく勧誘されたことがあった。機関誌の『目覚めよ!』って本をたくさん押しつけられて、嫌々目を通したけれど、『全ての人が幸福で争いのない世界』って本気で信じてたんで、鼻で笑ったよ
( ´,_ゝ`)プッ
だってさ、みんなが幸せだったら『自分が幸せ』っていうのは、どうやって意識するわけ?
『幸せ』なのは『幸せじゃない』人が居るから自覚するんだよ。「ああ、あいつ貧乏で大変だよな。オレは金があるから幸せだよ」っていうこと。他者が在るから不幸も幸福も感じ取る
つまり、それこそエヴァンゲリオンじゃないけど、みんな溶けて一つになっちゃえば不公平も争いも無くなる。でもそれはもう人間じゃない。少なくとも地球人類の持つ社会構造では、不公平というのは『当たり前』なんだ。自然から与えられるモノの量は一定だから、誰かが幸福になれば誰かが不幸になる
例を出すと、北半球の物質文明は、南半球の自然の富を奪ってしか成立できない、というのがそうだ

じゃぁやむを得ない不公平をどう是正するか、というのが(こちらのサイトでも述べられている通り)社会というモノの使命だろう
私は無学な愚民(笑)の一人だが、そのためにどうしたらいいかについてちょっと考えてみた
そこで、きっちりとした教育を受けた真のエリートと、その他大勢という環境は実は結構バランスがいいんじゃないかということを思いついたわけで
だいたい、たいした理念もない奴が、楽をしたい一心で公務員になれてしまう社会で、きちんとした公共サービスが実現できるわけがないでしょう。だから、エリートになれるチャンスのある者が、切磋琢磨して競い合って磨かれて、晴れて公共の仕事を運用するようになる道を進み、そうでない人々は社会全体をうまく回すだけの知識は学んだ上で、天下の回り物(金)を生み出せるように好きな仕事をすればいい
エリートと一般市民の棲み分けとでも言ったらいいのか?


話は少し飛ぶが
去年、入院してFM放送のニュースを聞いていたときに、学校教育の質を問うという内容のものがあった
教員の自覚について・・・塾に通う児童の増加・・・教育費の増大・・・
ああもう!黙れ!!そんなに言うなら、(乱暴な言い方をするが)公共教育なんぞ無くしてしまえ!・・・と思った
NHKで特集していたが、高い金もらってる進学塾の教員は、ものすごい厳しい面接を勝ち抜き、みっちり事前教育を受けてから現場に出るそうだよ?(某京都の事件については、ここでは述べない)
教室の雰囲気もものすごくて、(それが教育に傾ける情熱なのかどうかはこの際置いておいて)、寝たり遊んだりしている子供なんて居やしませんでしたわ
それに比べて公立学校の教員のだらしなさったら・・・以前、高校の先生にパソコンを教える仕事のため、近所の公立高校に半年間通ったことがあるんだけど、生徒にいろいろ教えるよりも、組合のことや教育者同士の発表会の方で忙しそうだったぞ
ここでエリートと一般市民の話に繋がる。ようは学習内容が厳選された高級な授業を受けられる、財力に余裕がある子供たちは「専門」の道に邁進し、そうでない子供は今まで通りの一般教育課程を進めばよいのではなかろうか
ただしチャンスは平等にあるべきで、学習過程の如何で仕事の差別はせず、様々な職種にチャレンジできる制度は残す必要がある(古代中国の科挙みたいなもの?)

気をつけなければならないのは、エリートが偉いわけではないということ
人間が生物としては『平等(生きる権利)』であることは、絶対に教え忘れちゃいけない。そうしないと中世の馬鹿支配者階級みたいになっちゃう
その他大勢の一般市民は、とりあえずの毎日を生きるのに精一杯。エリートはそういった人たちではできないこと(政治)を代理で行うだけの存在なのだ
選ばれた者の仕事というのは、肉体的にも精神的にもとても辛い。それを耐えて仕事を行っていれば、自然と庶民から認められる。そういった一般市民からの敬意の下でなら、高い給与をもらい贅沢しても許される、というのが私の考えだ(これは小説『十二国記』の記述を読んでいて、さらに自覚を強めた)
王様は民が王様だと認めている間だけその地位に居られるのと同様に、エリートはエリートだと一般市民に認知されていなければ無意味な存在だと肝に命じなければならない
武士道ほどではないが、覚悟のない者は地位を得てはならないのだと思う

あとは、全ての教育課程で、ちゃんと国を愛する心について教えていかないとダメだな、ということを付け加えておく

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「共産主義という名の妖怪がヨーロッパを徘徊している」というフレーズは、マルクスとエンゲルスが起草した『共産党宣言』の有名な書き出しである。若いころの私が、この徘徊する「共産主義という名の妖怪」に取り憑かれたことは、一昨日のエントリーで書いた。 私は、この思想は、やはりキリスト教文化圏だからこそ生まれたものだと思う。共産主義が説く「絶対的真理」と「平等」、これは、「唯一の神の下の平等」を謳うキリスト教と相通じる。 共産主義思想の持つ独善性と排他性、偏狭さと冷酷さは、唯一神信仰そのものである。だから「... [続きを読む]

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