« 親王殿下誕生 | トップページ | サンドバッグ »

2006/09/09

ルールの二面性

昔ある作家さんがこんなことを新聞に書いていた
『僕は交差点でいちいち信号を守っている人たちは馬鹿だなと思う・・・こういう人たちは、いざ信号が無くなったり動かなくなる事態が発生したとき、思考回路が硬直して臨機応変には動けないだろう・・・だから僕は信号を守らない、ルールは自分なのだから僕が安全だと思えば安全なのだ』
まあようは、なんかあっても自分で考えろと言いたいワケなんだけど、それにしてもかなり喧嘩を売った物言いで、発言そのものに同意はしかねるが、ルールというものへの考え方の二面性を良く表しているような気がする


ルールというものは、ある一定領域に住まう人間が、無用な摩擦が起きないように(なるべく)誤差の無いような生活を送るよう、(歴史と生活をある程度加味した)行動指針を定めたものであると思う
『車は左、人間は右』『電車への整列乗車』などがそうだが、皆さん知っての通りルールから逸脱するものは必ず居る(逸脱する例があるという方が適切なのかも知れない)
というのもルールとは『善悪』の概念に似て、限定された範囲における多数決を集約した意見であるからだが、つまりルールとは悲しいかな必ず破られるものだとも言える
だが、これを逆手にとってルールは破れるものだと考えて行動しては、社会性とか協調性というものを否定する反逆者になってしまう
とはいえ、ルールに縛られては器用に動きまわれず、自分も相手もがんじがらめにしてしまうことがある
ルールはある意味『逃げ』のための盾として使うことも出来るからで、これに頼ると心の狭い冷徹な支配者に変貌してしまい、しばしばトラブルの原因となる

けれどもルールを作るとき、破られることを前提に考えることはできない。それでは元からそれがルールたり得ないからである
しかし、守られるものだと過信して作ることも出来ない。どんな時でもいわゆる平均から外れざるを得ない人が居るのだから
ルールにつきものの『罰則』と『例外』はそのためにあり、こういった三すくみならぬ四すくみを考えられる基礎知識とボキャブラリがなければ、上手く世の中は回せないのだろう

とはいっても、ルール自体が突飛で多数決さえ得られないこともあるし、ルールがあるべきなのに何か壁があって手が付けられていないこともある
こういう事も突き詰めるといろいろ原因があって・・・
一つは、ルールを制定するべき立場の者たちに歴史観や風土または道徳観が欠けていると言うことが多い
片方で、ルールを守りもしないくせに、こうしてくれああしてくれと騒いでるだけの連中も多くて
要するに人間できてるかできてないか、などという言葉に落ち着くのかも知れないが


何でこんなことを言うかというと、最近頓にこういうルール関係のトラブルに悩まされているからなのだが
教室運営しかり、パソコンの使い方しかり
(パソコンの使い方だって、Windowsを使う以上はM$が決めたルールに従って使わないと、基本はだめなわけで)
世知辛いニュースを見渡しても、『ルールは破って良いんだ』と思ってる奴らがごろごろして、『ルール守ってるんだろ』と過信してる者たちが革の椅子でふんぞり返って・・・
もういっそ、本気で憲法を根本から変えて、国作りやり直した方が早いんじゃないの?などと思うのである

|

« 親王殿下誕生 | トップページ | サンドバッグ »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/78857/11819781

この記事へのトラックバック一覧です: ルールの二面性:

« 親王殿下誕生 | トップページ | サンドバッグ »